カウンター
お一人様戦闘力

Bar Aoi の物語

お一人様戦闘力

7分
気分 · ちょっと軽く
2026-09-17

一人ラーメン、一人旅、一人遊園地。そして一人鍋。 一人でいることの難しさを数値化し始めたオッサンたちは、やがて「そもそも誰と戦っているんだ」という、どうでもいい問題にたどり着く。

カウンターで読む

なあ、あんた。

あんたは、どこまで一人でいられる?

一人ラーメン。一人焼肉。一人旅。このあたりは、まあ「日常」の範疇だろう。

じゃあ、これはどうだ。

金曜の夜。ハレの日の解放感に満ちた学生や、一週間の労働を終えて出来上がっている会社員で満席の居酒屋。その喧騒の真ん中に一人で入り、一人で注文し、一人で食い、一人で飲む。誰とも一言も言葉を交わさず、会計を済ませて夜の街へ出る。

俺はある。

そして、店を出た瞬間に思った。

――勝った、と。

カランコロン。

ドアベルの小さな高音が鳴ると、ようやく俺の一日が終わる気がする。いつもの席に腰を下ろすと、ママは何も言わずにハーパーのグラスを置いた。氷が小さく硬い音を立てる。

「で」
タカがグラスに手を伸ばしながら言った。
「何に勝ったんです?」
「何がだ」
「さっきの一人居酒屋ですよ。『勝った』と思ったんですよね」
「思った」
「何にです?」

俺はグラスを持ち上げ、琥珀色の液体を揺らした。

「……さあな」
「自分で勝ったと言っておいて、相手が分からないんですか?」
「勝った感覚だけが残ってるんだ」
「だから、誰に」
「分からん。だが、俺は勝った」

隣でトムが小さく鼻を鳴らした。

「自分だろ」
「何がだ」
「一人で入るのを躊躇う、くだらない自尊心に勝ったんだよ」
「そういう綺麗側に回収するな」
「綺麗ごとじゃねえよ。事実だ」
「俺はもっとこう……なにか不可視の壁を越えたんだ」
「だから、何の壁だよ」

タカが可笑しそうに口元を緩めた。

「じゃあ健一さん、『お一人様戦闘力』が相当高いんですね」
「なんだそりゃ」
「一人で行動する耐性ですよ。あるいは独立度というか……まあ、レベルみたいなもんです」

トムが興味なさそうにグラスを傾けた。

「……どれくらいだ」
「何がだ」
「俺のレベルだ」

タカが腕を組み、天井を見上げた。

「金曜夜の一人居酒屋なら……3000くらいですかね」
「それは高いのか?」
「基準がないですからね」
「なら作れ」
「俺が作るんですか?」
「言い出したのはお前だ」

カウンターの奥で、ママが小さく息を吐いた。また不毛な議論が始まったと思っているのだろう。

「じゃあ、一人ラーメン」
「50」
「低いな」
「カウンター主体の店なら10でいい」
「一人牛丼」
「5」
「一人カフェ」
「3」
「一人映画」
「100」
「映画なんて上映中は誰も喋らねえだろ」
「なら30だ」
「簡単にブレるな」

タカも負けずに続ける。

「一人カラオケ」
「500」
「今はヒトカラなんて普通だろ」
「じゃあ300」

俺は眉をひそめた。

「時代によって数値が変動するのか?」
「当然でしょう。一人焼肉の専門店まである時代ですから」
「なるほど」
「昔なら800、今なら300ってところですね」
「歴史的補正まで入るのか」

くだらない。実にくだらないのだが、だんだん数値の精度が気になり始めてきた。

「一人旅」
「行き先によりますね。ビジネスホテルに泊まって観光なら200」
「温泉旅館は?」

タカの動きが止まった。

「……2500」

強い。

確かに高い耐性を要求される。だが、俺には金曜夜の一人居酒屋がある。学生の集団、会社帰りの宴会、怒号のような笑い声と乾杯の音。そのノイズの渦中で、俺は黙々と酒を飲み、会計を済ませて立ち去ったのだ。

「2000だ」
「何がです?」
「一人温泉旅館だ。2000に下げる。俺の一人居酒屋より下だ」
「なんで健一さんが相場を決めるんですか」
「比較検証だ」
「何の?」
「孤独耐性の数値をだ」

トムが笑った。

「完全に自分の体験を基準にしてやがる」
「黙ってろ。……じゃあ、一人遊園地はどうだ」

タカが考え込む。

俺も考えた。

一人でジェットコースターに乗り、落下ポイントで自動撮影される。歓声をあげる家族、絶叫するカップル。その写真の端で、無表情の俺が風を受けている。

『写真、ご購入されますか?』

……これは強い。

「3800」
「高いな」
「一人居酒屋を超えたのか?」
「証拠が残る」
「証拠?」
「一人でジェットコースターに乗ったという、動かぬ記録画像だ」
「誰に見せるんですか、それ」

俺は黙り込んだ。

「……知らん」
「負けたな」
「負けてない」
「何にだよ」
「俺の一人居酒屋の価値だ」
「やっぱり戦わせてたんじゃないですか」

不毛だ。

だが、こうなるとこの数値の頂点に何が君臨するのかが気になってくる。

「海の断崖絶壁に一人」

トムが思いついたように言った。

「何しに行くんだ」
「海を見る」
「なぜ断崖絶壁なんだ」
「絵面が強そうだからだ」

雑な理由だ。

だが頭の中で、一人の男を荒涼とした断崖絶壁に立たせてみる。吹き付ける潮風。打ち寄せる荒波。遠くで鳴く海鳥。視界の全てを占める水平線。

そこに一人。

……待てよ。

「これ、むしろ一人の方が自然じゃないか?」
「……確かに」
「二人で断崖絶壁に立ってたら、火曜サスペンス劇場だろ」
「何があったのか心配になりますね」
「だが一人なら?」
「人生の熟考か、詩人ですね」
「だろ? 風景に溶け込んでいる」
「じゃあ数値は低いですね。150」

トムが不満そうに眉をひそめた。

「断崖絶壁だぞ?」
「一人でいることが風景として成立しすぎているんですよ」
「でも断崖絶壁だぞ。字面の威圧感が違うだろ」
「じゃあ4980」
「なんで急に跳ね上がったんですか!」
「断崖絶壁だからだ」
「一人であることと関係なくなってるでしょう!」

ママが肩を揺らしていた。静かにツボに入っているらしい。

「他にはないのか」

俺が促すと、タカは腕を組み、トムはグラスを弄び始めた。

しばらく考えて、俺は呟いた。

「……一人鍋」

二人の動きが止まった。

「家でか?」
「店でだ」

静寂が訪れた。

俺は目を閉じた。

四人席を単独で占拠し、煮えた白菜を黙々とすくい上げる一人鍋。

強い。これは圧倒的だ。

俺の脳内で、あの日の一人居酒屋が立ち上がった。喧騒を突っぱね、たった一人で酒を飲み干した歴戦の勇者である。

対する一人鍋は微動だにしない。

一人居酒屋が踏み込む。効果なし。一人鍋は静かにお玉を持ち上げ、煮えた白菜を取り皿へ移す。

俺の一人居酒屋が膝をついた。

「……5000」
「中で何が起きたんですか」
「負けた」
「何がです」
「俺の一人居酒屋だ」
「やっぱり戦わせてたんじゃないですか!」

トムが口を挟む。

「断崖絶壁は?」
「4980」
「一人鍋の勝ちか!」
「20ポイント差の僅差だ」
「その20ポイントの差は何なんですか」

俺は少し考えた。

「鍋の『囲む』という概念の重量だ」
「何ですかそれ」
「鍋は『食べる』とも言うが、『囲む』とも表現するだろ」
「ええ」
「一人なのに、囲んでいるんだぞ。概念を」
「意味が分かりませんよ!」
「だから5000なんだ」
「全然納得いかないですけど!」
「だが断崖絶壁より強い」
「断崖絶壁の4980も意味不明ですからね!」

トムが腹を抱えて笑い出した。

ママがアイスペールに新しい氷を落とす。カラン、と小さな音がした。

「ねえ」

ママが静かに言った。

「その数値って、結局なんの数字なの?」

三人で黙り込んだ。

「……一人で行動するときの、心理的ハードルですかね」
「でも断崖絶壁は一人でも平気だったろ」
「あれは150ですからね」
「4980だ」
「トムさんは黙っててください」

ママは少し考えてから言った。

「じゃあ、他人の目線?」

俺たちはママを見る。

「他人の目?」
「一人ラーメンは、一人のお客さんがたくさんいるでしょう?」
「ああ」
「一人遊園地は?」
「周りは家族とカップルばかりです」
「一人鍋は?」
「みんなで囲むのが前提のお店ですね」

俺は頷いた。タカも何やら納得した顔をしている。

「なるほど。周りの環境と、自分との『浮き具合』に比例して数値が上がるわけか」
「そういうことか」

トムが鼻で笑った。

「だがよ。周りの連中、お前のことなんか見てたか?」

昔、一人で入ったあの居酒屋を思い出した。

学生たちは自分たちのバカ騒ぎに夢中だったし、会社員たちは上司の悪口に花を咲かせていた。俺が何を食っていたか、何を飲んでいたか。そもそも俺が一人でそこにいたことすら、誰も一瞬たりとも気にしていなかったはずだ。

「……見てないな」
「じゃあ、誰の目を気にしてたんだ?」
「……自分自身ですね」

タカが言った。

俺はグラスを持ち上げた。

「そういう綺麗ごとに回収するな」
「最初からそう言ってますよ」
「俺は勝ったんだ」
「だから、誰にです」
「分からん。だが勝った」
「最初に戻ったじゃねえか」

ママが可笑しそうに笑った。

「じゃあ、葵は?」
「何がだ」
「一人で葵に来るレベルは?」

俺たちは顔を見合わせた。

俺は一人で来る。タカも一人。トムも一人だ。

「……1だな」
「低すぎません?」
「何の感情も動かん」
「俺もだな」
「じゃあ1だ」

ママが微笑んだ。

「でも、あなたたち。一人で暖簾をくぐっても、結局いつも三人で喋ってるじゃない」

三人とも黙り込んだ。

「……これ、『お一人様』なのか?」
「一人で来てるんだから、そうでしょう」
「だが、一人で過ごしてはいないぞ」
「じゃあ違うのか?」
「さあな」

トムがグラスを傾けた。

「っていうかよ。さっきからレベルだの数値だの言ってるけどよ」
「ああ」
「お一人様なんだから、最初から誰も相手なんかいないんじゃねえの?」

俺とタカの手が止まった。

俺の頭の中では、一人居酒屋が一人温泉旅館を倒し、一人遊園地に圧迫され、海の断崖絶壁が4980まで謎の進化を遂げ、最後には一人鍋が絶対王者として君臨していた。

だが現実には、誰もがただ一人で飯を食べ、一人で旅行し、一人で遊園地に行っていただけだ。

「……違いない」

タカが吹き出した。トムも笑い、ママも声を立てて笑った。俺も笑うしかなかった。

まったく。

俺たちは一体、なんの架空リーグを開催していたんだ。

なあ、あんた。

あんたの数値は、いくつだ?

一人焼肉。一人旅。一人遊園地。

ちなみに今夜の暫定王者は一人鍋、5000。海の断崖絶壁、4980。

異論は認める。というか、異論しかないだろう。

俺はハーパーを一口飲んだ。

それにしても、あの夜の俺は一体、誰に勝った気になっていたんだろうな。

また、葵で会おう。

最後の一滴

次は、どこへ?

評価するにはログインしてください

違う気分

気分選びに戻る。

カウンター

対話

まだ言葉はありません。

    base44
    Edit with Base44